B6の断片

言いそこねた何か

オタク女ファッションヤバい勢から抜け出したくて考えていたこと

 
◎(オタク)女性のファッション?
以前いろんなところで話題になった、「オタク女の教えるほんとうのオタク女ファッション」が最近また少し話題になっていた。リンク先は直接PDFが開くので、紹介記事の方も張っておく。
 
 
twitterでは自分を当てはめて自虐していたオタク女性をたくさん見かけたし、言いたいことはすごく分かる。ブコメでさんざん非難されているのであまり深く気にやまないことにするけれども耳に痛い。ざっくり内容を解説すると、オタク女性のファッションを以下に分類してイラスト化、具体的なブランドまで上げたものだ。
 
「周りに馴染んでいると思い込む勢」
「周りと同じはイヤ!勢」(シンプル、個性派)
「頑張ってる勢」(ロリっぽい)
「本当にヤバい勢」(学校ジャージ系)
「別の意味でヤバい勢」(アジアン~民族系?)
 
自分を分類に当てはめて傷ついた人もいるかもしれないが、ヤバい勢を抜け出したいけどどうにもできない不特定多数にとってはわりといい参考になったのでは、と思った。おそらく中高生の時まで「本当にヤバい勢」として、大学に入っても「ちょっとヤバい勢」のあたりをさまよってで悩んできた身としては、こうして手軽に定番のブランドを知れたり雑なカテゴライズでもひとつ考えを持てた方が気楽だったかなあと思った。
 
 
 
◎「ヤバい人」の枠組みに足を取られること
気付いたらヤバい勢になっている人は別にいい。好んで身にまとう服装など、誰にも強制されるものではない。気になるのはかつての私のように、ヤバい勢の抜けだし方が肌身に馴染みすぎて「分からない」人間だと思う。私はその後者で、ファッションそのものよりも、気持ちの部分で引きずられて抜け出せない人間だった。学生身分を卒業してからはなんとなく薄まってきたものの、たまにふとした拍子に引きずられそうになる。
「衣食住」という言葉だって、最後の意味だけ分からなかった。
今ならば、衣服の衣は自己表現の場でもあると言える。他人からどう扱われるか(自分はどういう人間か)あたりも決まってくる。もちろん、環境の確保、生命活動の維持、自己表現。単に身だしなみを整える以上の興味がないなら、それでいいのだ。気になるのは、元からそういう発想に辿りつけなかった私のような人のことだ。
 
 
◎元をたどれば
私はそういう発想に辿りつけなかった側だ。もとは今よりもっと自己肯定感が低い人間だった。元々の内向的な性格とクラス内のヒエラルキーを心の中に引きずり、学生時代はどの時間も決まった友人とひっそりと過ごしていたと思う。物心ついたころから可愛らしいものが好きだったけれど、そういうものを身に着けていいとは一度も思えなかったし、好ましいものも可愛いものも綺麗なものも、息が苦しいくらい苦手だった。
環境の面から言うと、家族の影響も大きい。片付けが苦手な母は、もう着ない服を「いつか使う」抱え込んでいた。弟は私と違って要領がよく、いつも服をおねだりして買ってもらっていた。その要領の良さが妬ましくて素直になれない自分が恥ずかしくて、ずっと古着屋なんかで適当に揃えた服を身に着けていた。欲しいものはこれではないと分かっていたけれど、言葉にならない。衣類とは、全身に貼りつき心まで染み入る呪いのようなものだった。このあたりの毒の抜き方は、田房永子さん「呪詛抜きダイエット」を早く読めたらよかったと思う。気になる人は試し読みをぜひ。
 
 
◎選んだものを身に着けるまでの壁
上記の発想に辿りつけなかったころの苦しみを、項目別に6つに分けて考えたことがある。自分が、自分で選んだものを、自分なりに生活に取り込むまでに当たった心の壁である。
 
【ほしいものを取捨選択するまでの壁】
①自分が何かを欲しいと思える
②自分の好きなものがわかる
③それを身に着けていいと思える
④自分の身の回りにお気に入りのものを少しずつ増やせる
⑤お気に入りで揃えられる
⑥必要に応じて買い足せるようになる
 
①……欲しいと思える
自分の壁は、まずここからだった。欲しいものを欲しいと思えない。
別にファッションに限らず、チヤホヤされたいとか恋人なんかで考えるとイメージが伝わりやすいと思う。自己評価が低すぎると、自分が欲しいものを欲しいとさえ思えない。この段階の人に関して言うと、早めに専門機関で話聞いてもらったほうが人生コケなくて済むかもしれない。なお、私は諭吉ごと金銭感覚とコンプレックスを吹っ飛ばすショック療法がだいぶ有効だった。もしもお金に余裕があれば試してほしい。
②好きなものが分かる
「欲しいと思える」を脱しながら見えてきた壁がこれだ。ちなみに好きだと思った服は普段から着られるガーリー系で、だいたい諭吉が2、3人くらい消えるお値段だった。11連ガシャが6回は引けるじゃないか!!
仕方がないから気が向くとショッピングモールに通いづめて、「周りに馴染んでいると思い込む」ラインで、絶対に必要な服だけ探して「服を買いに行くための服」を手に入れるため練り歩いた。それと同時に、好きなものを積極的に探すようにもなった。私のような乙女趣味の女性には参考にしていただきたいのだけど「喪女なのに少女趣味」に挙げられるブランドをコピペしてググると何かしらどれかがヒットすると思う。
 
最初のPDFと合わせて話題になった「オタク女子はモノ萌え」という考察に辿りつくのは、この段階を経てのことだと思う。ふたつを合わせてみるとなかなか面白い。
 
③それを身に着けていいと思える
ここが最大の壁だと思う。ここまで順番に書いてきたが、実際は欲しいものが分かる→欲しいと思える、身に着けていいと思えなくても手を出し始める、という感じだと思う。欲しいものが分かればあと一歩の勇気も出せる。かりそめの服だって、割り切って着られるかもしれない。私としてはこの段階でやきもきしている段階でさっきのPDFが読みたかったと思っている。実際は大学生向け定番ブランドまとめ!なんかを漁ってお財布と実物と相談した。よくよく聞くと、評判のいい定番ブランドの福袋で普段着をまとめ買いするやり方が賢かったと後になって気付くなど。
 
④自分の身の回りにお気に入りのものを少しずつ増やせる
今の私は、きっとこのあたり。最近は可愛いものを見て泣いたり、苦しさのあまり店の側で項垂れたりということは、してない。自分が苦しくなるものから物理的に離れたのもあるのかもしれない。あるいは、画面の向こうに支えてあげたい好きな子ができたからかもしれない。今となっても毎日かわいいものを好きだと言ったりRTする、程度のリハビリもしている。それだけのことなのだけど、私にとっては大事なのだ。
 
⑤お気に入りで揃えられる
ここまで来たらもう特にこわいものはない。身に着けることを楽しむ周期に入ってきていると思う。実際はお気に入りのものを増やすだけの小さな空間を楽しんだり、買い足したりで④~⑥も連動していると思う。

⑥必要に応じて買い足せるようになる
あとはマイペースにやればいい。いつかここまで辿りつきたい。
 
 
 
美しいものに手を伸ばせない苦しさやもどかしさで苦しんでいる時、雨宮まみさんの文章に触れた。私はキレイ教よりカワイイ教に入信しているので宗派は違うが、心強く奮い立たせてくれるものであった。特に最後の文章は、胸に来る。
「美しくなりたい」と思う気持ちは、私の中では「自由になりたい」と、同義です。社会の圧力から、常識から、偏見から、自分の劣等感から、思い込みから、自由になりたい。いつでもどこでも、これが自分自身だと、全身でそう言いたい。「美しくなりたい」とは、私にとってはそういう気持ちです。
 
②③のあたりで足踏みしている人へは、あわせてぜひ、これを。かつて丁度そのくらいのタイミング読んで全身の水分が干からびるほど泣いた。もう私のことは忘れてもらってもいい。肥大化した自意識と内面化した批判的な目線が溶けていくこと請け合いだろう。ついさっき洋服は「自分はどういう人間か」表すと言ったけれども、少し背伸びしてなりたい自分になる力も同時に授けてくれるのだと思う。
 
 
◎ファッションは誰のもの
ファッションを振り切って自分の内面に従うことができないのなら、他の人の目線に身をゆだねるのも正解ではないかと思う時もある。とめどなく考えていた時、raurublockさんの「女性の服装が男性へのアピールに捉えられがちな件」についての考察を思い出したので蛇足ながら貼っておく。
主に男女間での考え方の違いになっているが、ファッションにおける主観と客観を切り分けて考えるには役立つと思う。
 

 

 
ちなみに、私は典型的な「その日の気分に合う」ことを重視するタイプだ。
ただでさえ着たい服がない中でその日の気分を探すのだから、そりゃあ苦労するはずであった。⑤お気に入りで揃えられる、⑥必要に応じて買い足せるようになるまで至れば、今のこの悩む以上の消耗はなくなる……だろう。今はただ信じて足を進めることを続けたい。
 
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いつの間にかここまでもがいてきた足跡と、そのとき心の支えになったものを書いてみた。自分のためのリンクまとめのようになっているが、もし悶々としている人が見かけて得るものがあったらこれ以上の幸せはない。