かわいいはポルノだった
「かわいいはポルノだった」
ふと投稿したつぶやきが妙に心に引っかかった。
なんと言葉を紡げばいいか分からないまま書いておく。毎回いうけど身内は読まなくていい。
・VS.かわいいもの 東京旅行編
数か月前、東京に旅行に行ってかわいいものと和解してきた。
自己肯定感の低い私にとって欲しいものを願うことは積だった。その中でも自分が強く惹かれる概念が「かわいい」であり、また同程度の反発を覚えるものだった。身にまとってはいけないと思っていた、高価でかわいらしいお洋服を購入して、以前から興味のあったうさぎカフェに行ってきた。お洋服との「決着」は、以前のエントリを参照してもらいたい。自分に自信のない人間が欲するにはあまりに高価な買い物をして、少し勇気をもらった時の話である。この日、私のお洋服コンプレックスはかなりの部分が改善した。
うさぎに関しては昔から好きだった。昔から女の子が好きそうな愛らしいものをたくさん与えられてきた私は、その延長戦を辿るように動物が好きだった。小学校では飼育委員だったが、実際のうさぎが好きだと思ったことはない。ただモチーフとして可愛いのはうさぎと猫だと思っていたのは変わりない。今回うさぎカフェに行ったのは動物好きの友人と「せっかくだから」動物カフェを巡ろう、という話になったからである。結果にすれば、うさぎさんがゲージから放たれた数秒で私の理性は決壊し、人生で1、2を争うデレッデレの笑顔と変な体制でシャッターを切っていた。もうブリッコと思われても仕方がない。私はこの地上の天使が好きだ。そのあと行ったフクロウカフェと猫カフェ(もどき)と比較して、心からそう思った。
東京旅行からしばらくして周防桃子という電子(ソーシャルゲーム)の世界の天使と出会ったことを機に、「かわいいもの」とはいちおうの決着をつけた。己の自己評価の低さから「望んではいけない」私にとっての至上価値「かわいいもの」を求めることができたことは今も毎日のように思い出す。外から見ると深夜怪文書ポエムマンとして毎日不穏なつぶやきを残すよく分からない人になると思うが、自分でもそう思う。
ようやく最初に戻る。いつものようにうさぎさんフォロー用アカウントを見ながらデレデレしていてふと、「かわいいものは私にとってポルノなんだなあ」と思った。誰とも比較せずに自分の好みだけで「イイ」と没頭できる場所。傍から見ると滑稽で、人に言うのはちょっとだけ後ろめたくて恥ずかしい。けどその快い気持ちが自分に根付いて趣味趣向のひとつになるもの。私にとっては「かわいいもの」はそういう場所だった。
・私にとってのポルノ
ポルノについては、いろいろな気持ちが混ざっている。
最初にそういうものに触れたのは神風怪盗ジャンヌで、主人公が純潔を奪われかけるシーンだった。どきどきしていた私は、やがてアニメ雑誌の投稿から腐女子になり、18歳を迎えるころには裏ページの存在を覚えた。また、オタクとして燃えていた当時見ていたサイトの影響で、オタクはエロ本をレビューできるのがたしなみだと思い込んだ。よくわかんないけど性癖とかフェチを熱く語れる人はカッコいいと思って真似しようと思って中古でLOを買ったりした。このとき掲載されていた内容が和姦ものばかりだとしたら、今頃桃子の純潔を狙っては自己嫌悪に忙しい闇のお兄ちゃんになっていたかもしれない。
転機になったのは当時の腐女子叩きの風潮だと思う。私は当時の好きだったジャンルごと、自分の心を殺した。腐女子をたたいて女体を消費して同調する側になれば、この日陰のような場所で生きていられると思った。あとはあまり面白い話ではないけれど、異性交際において気持ちが付いて行かない焦りから、性的コンテンツが好きなのだと思い込もうとした。そこで涙目になりながら快楽天を漁ったおかげで自分の好みは特筆すべきところのない平々凡々なものだと分かって「尖った俺カッコいい」を目指すことを辞めたとかどうとか。
とにかく、性的な領域に対しては「好きになっているべき」自分と「その場で吐きそうなくらい無理」という相反する気持ちを持っていた。さらにいうと、誰かに向ける気持ちも自分の気持ちも分からなかったし、今もまだ整理が付いてない。しかしその気持ちを無理やり丸め込むように、セックスに至るポルノは何かしらの「意味のあるもの」だと思っていた。求めることができない自分が間違っていたのだから、せめて手の届かない世界は素晴らしい世界だと信じていたかった。こういうの、魔法使い的なメンタルとか言うんだろうか。失恋の痛手とともに落ちついていった迷いは、「解決しなくてもいい」箱に入ったまま忘れかけている。
・のれんの向こうに夢みて
行ったり来たりして申し訳ないけどまた最初に戻る。
「私に意味をくれるもの」だと信じて手放なせなかったポルノへの夢は、どうやら別の形で私に与えられたようだった。もうかわいいものに触れてもあまり怖くない。息を止めている間くらいだったら、1人でのれんの下もくぐれる。好きな先生だって、なんならコミケで直接会いに行けばいいじゃないか。もう誰かや世間に対して何かを言い訳しなくていいんだよ。心の結び目が消えた心の隙間がこわくて何かの言い訳を重ねようとする自分に言い聞かせるために、今このエントリを書いている。いつかポルノ(に託していた夢)に頼らずのれんの向こう側を見つけられるといいね。ささやかな願いに代えて、とりあえずの供養を締めさせていただく。